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温泉についてがふと思ったことや、調べたこと、
温泉の雑学などなどをつれづれと綴ったコラム集。
NO.5: 温泉本紹介 『お風呂の歴史』
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こんにちは、自称温泉人(Onsenist)、温泉広報人の春山ゆかりです。
師走に入ったと思ったらあっという間に年末ですね、 今月は、年末休みにゆっくり読みたい歴史本をご紹介。
その名も『お風呂の歴史』です。

ヨーロッパ(主にフランス)における入浴の歴史を綴ったこの本、
水泳やかけ湯なども含めた、大きな意味での「入浴」というものが 長い歴史の中、宗教や時代ごとの価値観によって、 大きく揺れ動く様を浮き彫りにしています。

お風呂の歴史
その中には、現代とは違ったお風呂の考え方や面白い運営形態など、
読んでいて、へぇ~となると同時に、
温浴業界へのヒントにもなり得るトリビアが含まれている本でした。

では大まかな歴史のあらすじをご紹介していきましょう。

◆◆◆◆◆

◆紀元前~5世紀頃
入浴施設が歴史に初めて登場するのは、なんと紀元前6世紀。
紀元前5世紀には、富裕層の邸宅の大半に浴槽がついていたとのこと。

当時、入浴は一般的にスポーツと関連付けられたものであり、
体を鍛えるためのもの、故に温水より冷水浴が推奨されていたそうです。
また、トレーニングと離せない関係であったため、
闘技場や体育場に欠かせない設備として浴室が作られ
それがのちのちの公共浴場の一典型となっていきました。

この頃の入浴は、現在の欧米同様、灌水浴(かけ水、シャワー)が主でしたが
全身浴やサウナも同時にあり、石鹸やアカスリで体を洗ったり
その後のオイルマッサージなども既に行われていたそうです。

その後ローマでは、スポーツが軽視されていくに従って
それまで運動の付属物でしかなかった入浴自体が注目され
入浴文化がめざましく発展、2世紀ごろには温浴黄金期を迎えます。
あの大浴場をつくったカラカラ皇帝の時代もまさにこの時期です。

どんどんと増え続けた温浴施設は、入浴設備だけでなく
マッサージ、整髪、脱毛、宴会、プール、格闘・運動場、
図書館までをも含む、一大慰安施設となっていきました。
その様子は、まるで現在の日帰り施設以上の充実っぷりです。
スポーツジムや、漫画喫茶に温泉がついてくるもの
なんともう20世紀も昔からあったことなんですね。

◆5世紀~15世紀頃
中世初期(5~10世紀)になると、徐々に禁欲主義が台頭し
精神世界を重視するに従って、肉体への関心が薄らいでいきます。
快楽、裸体をさらすことは忌み嫌われ、
故に入浴・水浴の習慣は徐々に衰退していきます。

とはいえ、入浴文化がいきなり全くなくなるわけではなく
大地主や君主は、相変わらず家に浴室を持っていたし
庶民も川などで水浴することは続けていました。

中世中期になると、禁欲主義が更に厳格になっていくのと同時に
一方で、肉体と精神とを別物としない自然主義も生まれてきました。
その流れで、中世末期には、再び魂と肉体は融合し、
入浴文化も再び広がっていきます。
特に13世紀、十字軍が遠征時に東洋、ビザンチンのサウナを西洋に
持ち帰ったことも、入浴文化の普及に大きな影響を与えたそうです。

1292年には、パリに蒸気風呂屋が26軒あったのが
再び人々の癒しの場として、公共浴場が増えていき、
美容のための入浴も盛んになり、脱毛も行う
エステのような施設が増えてきました。
また同時に、公認施設以外の、男女混浴の娼館に近いものも増え
1399年混浴禁止令なるものが発令されました。

15世紀に入ると、欧州をペストが何度となく襲います。
公共浴場は、病原菌をばらまく場所ではないかと疑われるようになり
また、相変わらず風俗的な施設が存在していたことなども加え
浴場への不信が高まり、入浴習慣が薄れ、施設が激減していきました。

◆16世紀~17世紀
ルネサンスに入ると、人々はさらに風呂に入らなくなっていきました。
熱いお風呂にはいると、毛穴を開くので、そこから
有害物が体内に入ってしまう、という考えが一般的になってきたのです。
また、空気中に漂う精子によって妊娠する、という考えもあり
若い女性も、風呂屋から遠のいていきました。

入浴は、ある特殊な場合、医療的行為や祭りの時のみのものとなり
体は、布で拭く方式が一般的になっていきました。
布を何枚も替えることが清潔なことであり、
水は逆に不衛生な物を運ぶ、疎むべき存在となったのです。

◆18世紀~
18世紀に入ってやっと、水への嫌悪感は薄らいでいき
欧州に広まった東洋趣味もあって、
貴族の中では、再び入浴が受け入れられていきます。

1800年頃、パリにある水浴施設は9軒と以前より数は少なくなりましたが
美容院やカフェ、レストランを併設した豪華な施設もあり
また、セーヌ川に浮かぶ施設もいくつも作られました。
(川の水を汲み上げ、温めて浴室へ配管するという画期的な施設)

徐々に水浴の有用性がうたわれるようになるにつれて、
パリの風呂屋数は、1832年には78軒、1861年には107軒と増えていきました。
とはいえ、清潔はブルジョワジーと高級娼婦の特権であり
体を手入れしすぎるのは倒錯的なこととも考えられてもいました。
衛生が健康のためになる、という考えが広まったのがナポレオンの頃、
人々はやっと体を洗うようになるのです。

とはいえ、手や顔は毎日洗っても、足浴が毎週1回、
全身浴は月に1回といった頻度だったそう。
また、経済的理由から(水は希少で高価だった)、
お風呂よりシャワーが一般的になり、また水圧が身体鍛錬に効くという考えにより
さらにその傾向が顕著になりました。

スポーツが発展し、大規模な治水工事が行われたことで
19世紀、水浴は一気に大衆化します。
1900年にはパリで水浴が出来る施設が500軒にも達しました。

そして現在に至るわけですが、
フランスでは相変わらず、水浴=シャワーのみという考えが主流であり、
しかも毎日シャワーもしくはお風呂に入るフランス人は、
全体のたった40%だそうです。

また、最後に「温泉」の存在ですが、
温泉は、入浴の黄金期から冬の時代まで、古代から全ての時代において
地味ながらもずっと存在し続けていました。
温泉湯治は、一般的に入浴が疎まれていた時代においても
医療的な手段の一つとして、推奨されていました。
ただ、湯治に行くことはお金のかかる、贅沢なことでもあり
ヨーロッパ(特にフランス)において、その傾向は今も続いています。


世界中の温泉を巡っているとき、
いつもぶち当たるのが「お風呂の壁」です。
お風呂に入る、という日本人にとって当たり前の習慣が
多くの国では特別なものであり、
せっかく温泉が湧いているのに、お風呂がない!なぜ?ということがよくあります。

自然と水の豊かな国に住む日本人にとって
水は常に疑いようもない清らかな存在であったことに比べ
時代によって、水が不浄なものと思われたこともあるフランス。

未だ水浴への関心が低い現状も、長い歴史の中ではほんの一時であり
またいつか、古代ローマのように、温浴施設が町中に見られる日が再び
来るのかもしれない、この本を読んでいるうちに、そんな気がしてきました。


◆◆◆◆◆

『お風呂の歴史』
お風呂の歴史 (amazonへ)
2006年2月8日 第一刷発行
著者 ドミニック・ラティ 高遠弘美訳
発行 白水社
定価 951円+税

 <2008年12月>



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